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ジュース代が投げかけたレスラー達の群像~【日本プロレス界/ジュース代裏面史】~より一部抜粋転載

…時代が変わればレスラーの意識も変わる。流血手当を嫌悪していた○×が古いタイプのレスラーとすれば、その流血手当で巨万の富を手にしたのが○×であろう。1970年(昭和45年)の初来日では週給○×ドル前後であったギャラが、その膨れあがる巨体と軌を同じくするように流した血の分だけギャラも上がっていき、○×には○×万円(年収)ものギャラを手にしたと言われている。

…流血でビバリーヒズに豪邸を構えたレスラーといえばグレート東郷だ。最初は東条を名乗ろうとしたが、当時の反日感情が高い米国ではさすがに「観客に殺されるぞ!」という警告が多く、断念し東郷を名乗った。プロレスのジャパニーズ・スタイルの原形(丸坊主にチョビ髭で高下駄、田吾作タイツに法被、褞袍姿)を作った。

その試合内容はパンチ、キック中心で形勢が不利になるとニタニタと意味不明のジャパニーズ・スマイルを浮かべて赦しを乞うポーズを見せ、相手が油断したところを急所攻撃。怒った地元ヒーローの反撃を喰らい、最後は血ダルマにされ反則負けという日系ヒールのファイトスタイルの考案者であった。

馬場が武者修行で米国をサーキットしていた時のマネージャーで、当時は「フランケンシュタイン」や「モンスター」を名乗り恰好も東郷二世であった。試合前にはタイツの上からマワシを付けた恰好で塩を撒き、四股を踏む相撲のパフォーマンスで神秘性を高めた「東洋の化け物」が馬場のギミックで、その化け物を地元ヒーローがどう退治してくれるかというシナリオが受け、馬場のヒール人気はトップクラスであった。

そのヒール人気に恐怖の色を添えていたのが「ヒロシマのアトミック・ボムで両親が焼き殺され放射能を浴びたジャップの子孫がモンスターに畸形してアメリカにリベンジにやって来た!」といった東郷が考案した宣伝用コピーであった。怪奇派化け物レスラーと言えば猪木、古くはゴッチ&ビル・ミラーらにセメントの鉄拳制裁(昭和36年5月21日、岡山県・津大会の控室)で鼻骨を折られたグレート・アントニオやザ・マミー、ザ・コンビクトなどをイメージすると分かり易い。

…当時は、○×のイメージが強く、○×を自負する○×が最初は蟠りを覚えたのも理解できる。ジュース代の○×で外せない○×の蹉跌。門本にはこのようにレスラーの生々しい人間性を抉るように描写しながらプロレスの実像に迫っていった。そこが小銭稼ぎの暴露が目的の高橋本等と大きく異なる点であり、ジャーナリストとチラシ屋との視点の相違でもあった。それは――。(簡易省略版② 有料本文へ続きます。同本文では伏せ字を表記) 価格300円




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テーマ : プロレス
ジャンル : スポーツ

【日本プロレス界/ジュース代裏面史】~フェイクに生きた馬場を常勝将軍に祭り上げたシナリオ作りの天才感ピューター・火の玉小僧の蹉跌~

門茂男がジュース代なる流血手当の存在を知ったのは「ザ・プロレス365」に拠ると、力道山の晩年(昭和37、38年頃か?)、日本プロレス興業のオフィス内で経理担当者から某レスラー(本文では実名)のファイトマネー支払い明細書の項目に記載されているのを見せられたのが最初だったという。

ジュース手当…それがファイト・マネーから差し引かれるのではなく追加分手当として支払われていたのである。試合後に飲むジュース代にしてはちょっと高い、そんなにジュースが好きだったのか? という単純な疑問を抱いたのが物語の始まりだったと記している。

ファイトマネーの15%に当たるそのジュース代、当時(昭和38年)の○×の推定年俸は○×万円(現代の貨幣価値換算だと○×万円)と言われていた。(昭和38年度の国家公務員の給与は大卒甲で17100円。平成19年度の同数字は181200円で≒10.59倍)。その15%といえば○×万円である。

当時の年収と言えば井上譲二が自著の中で「豊登の年収は2千万円(現代の貨幣価値換算)」と記しているが、力道山のギャラの明細が記された手帳(エンマ張)には「豊登、年収○×万円」(昭和38年)と記されていたと門は記している。これを今の貨幣価値に換算(×10.59)すれば○×万円になる。

2千万円という数字がどこから出てきたのか、井上は出典を明らかにしていないが、多少の誤差は仕方ないとしても、余りにもデタラメすぎる数字ではあるまいか。「馬場死亡」時に「復帰に向けてトレーニング中」という与太を飛ばしファンの失笑を買っただけに、これもチラシ屋お得意の妄想与太記事であろう。

この力道山のエンマ張には豊登だけでなく、芳の里、遠藤、吉村以下選手全員のファイトマネー、ボーナス、小遣いが克明に記されていたのである。ちなみにその極秘数字を列記すると、芳の里○×万円、遠藤○×万円、吉村○×万円、馬場○×円、猪木○×万円、大木○×万円。おそらくこのエンマ張を見ることのできた記者は門以外にはいなかったに違いない。

○×は力道山亡き後は選手兼現場監督として興行担当経理責任者として金庫番も務め、毎日○×万円のキャッシュを持ち歩いて興行地に乗り込んでいたという。その現金は経費では落とせないカネ、博打の肩代わりや九ノ一絡みの枕代、レスラー個人のハガミ(借金)と様々であったようである。

何よりもその当時の有名なエピソードとして地方の興行師たちから敬られたのが、同じ興行地でのこれまでの試合カードと勝敗が頭にインプット(感ピューター)されていて、シナリオ作成者(ブッカー)として同じカード、ストーリーは二度と使わないことを自身に課し、実行していたということだ。

負け役が嫌で試合前から露骨に不機嫌さを顔や態度に出しプロレス記者にも敗戦がバレた○×を宥めすかし、負け役を納得させることができたのは、○×以外にはいなかったはずである。またフェイクに生きた馬場を常勝将軍のチャンピオン然とした試合を創り出したのも○×との共同作業ではあったが、日プロのエースとして致命的なボロも出さず繕うことができたのも○×の功績であろう。「セメントを仕掛けてくる奴にはセメントで立ち向かう」という力道山の教えを忠実に守った弟子でもあった。

そして流血と言えば稀代の悪役・○×との関わりを語らずにはおられないであろう――。(簡易省略版 有料本文へ続きます。本文では伏せ字を表記)価格300円



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紹介文:門茂男主宰のユニオン元会員で、同氏には長年に渡りご交誼を賜った。ライフワークであった「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモを見せて頂き、その要点を再構成した「門茂男メモ」と数名のプロレス記者から入手した情報をベースに記した昭和プロレスのテーマに迫ります。
ミスター高橋の「流血~」本で白日の下に暴かれたプロレスの実像ですが、単なる暴露もので終わるのではなく、門氏が追及したレスラーの人間性にまで同じように迫りたいという思いです。

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プロフィール

シンタロー

Author:シンタロー
プロレスのテレビ初観戦は小学生前の幼少期に祖父宅で見た力道山プロレス。その当時、一番印象に残っている試合は降参しないと足が折れると技の恐ろしさを足4の字固めで教えてくれたザ・デストロイヤーや、吸血鬼を連想させる噛みつきで相手を出血させるレスラーの怖さを知らしめたフレッド・ブラッシーよりも、幼心にはコミカルな妙技で笑い転げたミゼット・レスラーとのタッグマッチであった。それは祖母が馳走してくれた三ツ矢サイダーの味と共に脳裏に刻まれている。放送日の詳しいことは不明だが、昭和35年8月にミゼット・レスラー(名前は不詳)初来日の記録がある。テレビ観戦がその時期のどの試合であったかは今となっては調べようもないのが残念である。
一般総合雑誌・書籍編集者として多数のプロレスや格闘技関係の企画立案に参画し、馬場、猪木、大山倍達、木村政彦を始め多くのレスラーや格闘家を取材。プロレス界のご意見番・門茂男氏とは編集ジャーナリストの大先輩として長年に渡り公私ともども御交誼を賜った。お会いする度に未整理、未発表の「ザ・プロレス365」のラフ原稿を見せて頂き、同時に門氏が口頭で語った様々なある事件の真相や噂(裏付けが未確認)を氏の了解を得てノートにまとめ「門メモ」として所有する元ユニオン会員。

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