王座転落試合(6月25日)は1本目14分39秒、両者リングアウトで1-1。3本目はブラジルのココバットを喰らいマットに沈んだ。第4代のインター王座に着いたボボ・ブラジル。来日外人レスラーの頂点に立ったと言っても過言ではない。サンマルチノ、キニスキーを差し置いて何故ブラジルが選ばれたのか?
そして2日後の6月27日、沖識名の名レフェリングの中でもベスト3に入ると言われている馬場インター奪回試合。ベテラン・プロレス記者たちもその斬新な結末に唖然とし、興奮が隠せなかった衝撃的なフィナーレで幕を閉じた。このシナリオのアイデアを沖に提供した人物とは?
馬場のインター王座転落から衝撃の奪回試合を見事な筋書きでファンに興奮を提供した裏には日テレと日プロ幹部との合同作業のサポートは欠かせないものだった。今のプロレスと決定的に違うのはこのストーリーにはベテランプロレス記者でさえトップシークレット扱いで関与できない世界であったということであろう。
これまでは相撲界と同じように八百長の証拠(メモ類)は「墓場まで持って行く」のが暗黙のルールであったが、平成の力士が携帯メールに証拠を残してしまいあっさりとゲロしたのは記憶に新しいが、同じようなことがプロレス界でも生じていたのである。力道山、馬場、猪木時代はシナリオの存在は極秘扱いでテレビ局のアナウンサーやプロレス記者たちに教えることは決してなかった。打ち合わせ中に記者たちヨソ者が近づけば話を逸らす(ケーフェイ)ことが鉄則であった。
それが平成の今はどうだろうか。シナリオ作りを放棄し安易に部外者である小僧に近いオタク記者たちに協力を仰いだり、安月給の記者たちもバイト代(安価)を欲しさに自ら団体トップに売り込み、その結果、ファンからも哄笑されるような陳腐極まりない筋書きを作り、それは例えば井上譲二(週刊ファイト)がUWFのシナリオを50万円で請け負ったと自慢タラタラと喋りまくったり、馬券代欲しさに山本隆司(週刊プロレス)のように全日のシナリオ作りに手を染め、プロレスが下手な三文芝居に成り下がりファンの不興を買ってしまい、その事がファン離れを加速させ現在のプロレス不況にまで影を落としているという事は猛省されるべきだろう。
プロレスのシナリオとして絶賛されたインター奪回試合、知られざるこの壮大なアンブルの全てを解析しここに公開する!
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