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馬場のNWAタイトル保持が7日間(3度とも)と短命で終わった謎を8.8の試合とを結ぶ「点と線」から紐解き解明〜【竹内宏介も書けなかった馬場の真相の深層①】〜より一部抜粋転載

NWA王者の役回りは全米各地のレスラーと防衛戦を行い興行をサポートすることが責務となっている。基本的には地元の人気レスラーとは実力差を見せつけるような試合はせず(セメント厳禁)、苦戦しながらの幸勝や引き分け・反則負け、両者リングアウト(基本となるシナリオが数パターン用意されている)などで防衛を重ね、地元レスラーの善戦ぶりを巧みに演出し次回興行への期待を抱かせることが役回りであった。

地元選手の人気や価値を落とすような試合はタブーとされ、プロモーターの利益を上げることがチャンピオンに課せられた義務であった。日本に来た歴代のNWAチャンピオンたちと日本選手たちの試合内容を具に思い起こせば、出来不出来は別にしてもその筋書きや結果は全て当てはまると言えよう。

(中略)1974年(昭和49年)12月2日、「馬場がNWA世界王座を奪取!」の報せに騒いだのは妄信的な馬場ファンだけであった。既にその頃のプロレス界に於ける「(NWA)世界タイトル」の欺瞞性やインチキ臭いことは誰もが知るところで、力道山時代や馬場、猪木がドリー・ファンク・ジュニア相手に引き分けのドローマッチを演じていた頃とではプロレスの社会的地位、評価は元より人気も低く雲泥の差があった。

朝刊スポーツ紙からは無視され、騒いだのはプロレス新聞だけであったが、この時期の世間の関心は12日に行われる猪木とストロング小林との再戦に集まり、7日天下で終わった馬場の「NWAタイトル賃借騒動」は「悪い夢を見ていたかのようだった」と苦笑いする関係者が多かった。

(中略)馬場が禁断の果実に手を出した「NWA王座獲得」というこの最後の手段は諸刃の剣であった。その動機と背景の理由とは? そして翌年の8月8日の○×で○×と○×した試合とを結ぶ「点と線」の謎を解き明かす! 何故、7日間の短命であったのか? 「モンキービジネス」と揶揄された「NWA王座八百長パフォーマンス」に馬場が積んだ実際の裏金は○×円だった――!(簡易省略版② 有料ブログへ続きます) 価格500円

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テーマ : プロレス
ジャンル : スポーツ

【竹内宏介も書けなかった馬場の真相の深層①】7日天下でファンから失笑された「馬場NWA世界タイトル奪取」で支払った裏金はいくらだったのか?

唐突だが馬場が残した遺産はいくらだったのか。死去後に渋谷税務署に公示された額は○×円であった。借金まみれの猪木と対比されるように吝嗇家として蓄財に励んだのが馬場であった。

(中略)日本のプロレスファンがNWAに対して素直に権威と価値を認めていた時代は力道山と死闘を演じたルー・テーズと真夏の大阪球場で馬場とのインター戦で65分の熱戦を演じたジン・キニスキー、そして猪木自身も生涯のベストマッチと認める60分ノーフォールマッチの名勝負を残したドリー・ファンク・ジュニアまでであろう。

その後、マットを全日に移しジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス、テリー・ファンク、リック・フレアーといった歴代王者がマットに上がったが、馬場との噛み合わぬミスマッチや田舎の小さな小屋で安売りバーゲンセールの乱発が響き、かつての威厳や栄光は地に堕ちローカル・チャンピオンと大差ないインパクトしか与えることはなかった。NWA世界チャンピオンといっても朝刊スポーツ紙には一行も相手にもされず、報じるのはプロレス新聞だけという寂しさであった。

(中略)1974年(昭和49年)12月2日鹿児島で「馬場、NWA世界タイトル奪取」のプロレス新聞の毒々しい見出しを駅の売店スタンドで見たプロレスファンは立ち止まり瞬時に何を感じ思ったのか?

盲信的な馬場ファンは別として大方の声は「馬場の政治力の大きさに感心し、まさか八百長丸出しのミエミエの3日天下で返すことは無いに違いない。そんなことをすればファンから失笑を買うだけ。おそらくアメリカで何度か防衛戦を行い、最後は不可解な判定で馬場は不運だったと思わせベルトを返すのだろう。で、一体裏金はいくら積んだのか?」というのが概ね平均的なプロレスファンの感想であった。

だが結果は3日天下ならぬ7日天下でブリスコが帰国する時にはきちんと返すという小学生のファンにも嘲笑されるというミエミエの「八百長」を演じ、返ってプロレスのイメージを著しく貶めてしまったのである。この「八百長パフォーマンスに呆れてプロレスファンを止め卒業していった者も多かったのである。

この7日天下は馬場のケチぶりの応報だったのか? 一体馬場は裏金をいくら積んだのか? 馬場にベッタリだった竹内宏介もさすがにこの恥ずべき醜態には口をつぐみ語ることはなかった。ならばその舞台裏を初公開しよう!
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紹介文:門茂男主宰のユニオン元会員で、同氏には長年に渡りご交誼を賜った。ライフワークであった「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモを見せて頂き、その要点を再構成した「門茂男メモ」と数名のプロレス記者から入手した情報をベースに記した昭和プロレスのテーマに迫ります。
ミスター高橋の「流血~」本で白日の下に暴かれたプロレスの実像ですが、単なる暴露もので終わるのではなく、門氏が追及したレスラーの人間性にまで同じように迫りたいという思いです。

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プロフィール

シンタロー

Author:シンタロー
プロレスのテレビ初観戦は小学生前の幼少期に祖父宅で見た力道山プロレス。その当時、一番印象に残っている試合は降参しないと足が折れると技の恐ろしさを足4の字固めで教えてくれたザ・デストロイヤーや、吸血鬼を連想させる噛みつきで相手を出血させるレスラーの怖さを知らしめたフレッド・ブラッシーよりも、幼心にはコミカルな妙技で笑い転げたミゼット・レスラーとのタッグマッチであった。それは祖母が馳走してくれた三ツ矢サイダーの味と共に脳裏に刻まれている。放送日の詳しいことは不明だが、昭和35年8月にミゼット・レスラー(名前は不詳)初来日の記録がある。テレビ観戦がその時期のどの試合であったかは今となっては調べようもないのが残念である。
一般総合雑誌・書籍編集者として多数のプロレスや格闘技関係の企画立案に参画し、馬場、猪木、大山倍達、木村政彦を始め多くのレスラーや格闘家を取材。プロレス界のご意見番・門茂男氏とは編集ジャーナリストの大先輩として長年に渡り公私ともども御交誼を賜った。お会いする度に未整理、未発表の「ザ・プロレス365」のラフ原稿を見せて頂き、同時に門氏が口頭で語った様々なある事件の真相や噂(裏付けが未確認)を氏の了解を得てノートにまとめ「門メモ」として所有する元ユニオン会員。

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