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なぜ馬場は「お笑い格闘技ごっこ」のドタバタ劇を演じることになってしまったのか?その背後に潜むテレビ局の傲慢と非常識~【竹内宏介も書けなかった馬場の真相の深層②】より一部抜粋転載

ラジャ・ライオンの(本名はリアズ・アーメッド=Riaz Ahmed)21 歳。経歴には巷間、様々な説が出ていた。新橋のカレーショップの店長(店員?)、馬場の知人が売り込みに来た空手家、敬虔なイスラム神学校に通うな学生…どれも間違い。日テレ現地(パキスタン)スタッフが○×用に発見したのがこの身長226㎝のラジャ・ライオンだったのである。

(中略)年少の頃から馬場は自分の並外れた巨躯に不快感、コンプレックスを持っていたのは有名な話である。野球界でもその巨体を期待されたが芽が出ず、同僚たちからは「ウスノロ」「グズ」「鈍ヒョロ」と嘲笑され、これが投手として開花、成功していたならその劣等感も成功への雌伏とみられ美談として語られたでろうが、現実は解雇(クビ)処分。相撲取りが部屋を逃げ出しプロレスに逃げ込むとのと同じように球界を無一文で放り出された馬場は、以前に誘いの言葉を掛けてくれた(真相は社交辞令)力道山を頼って好きでもないプロレスにマネーの為だけにフェイク世界に身を投じただけに巨体は常に劣等感の塊であった。

こんな話もある。映画007シリーズのガイ・ハミルトン監督(後にルイス・ギルバートに交代)の目に止まった馬場に出演依頼の話が舞い込んできた。「私を愛したスパイ」「ムーンレイカー」でボンドを狙う殺し屋・ジョーズ役である。

だが台本の内容を聞き断った。表向きはスケジュールの都合がつかないというものだったが、実際は化け物の殺し屋が鉄の歯を持ち拳銃を噛み砕くシーンに難色を示したという。この化け物のオーバーな演出が不満だったようである。結局、映画には218㎝のリチャード・キールが演じ人気を集めた。日本映画界からも東宝からフランケンシュタイン役を打診されたが即座に拒否している。

視聴率アップの為ならヤラセやインチキは日常茶飯事がテレビ局。「親の死も利用するのがテレビ局」という非情さも知る馬場に持ち込まれたとんでない○×に馬場は難色を示した。零細企業(全日)が親会社(日テレ)に背くことはタブーであるにも拘わらず、従順な僕であるはずの馬場が気色ばみ頑強に拒否した○×とは一体何だったのか? そしてテレビ局の○×の犠牲者でもあったラジャ・ライオンの○×…その真相に迫る!
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テーマ : プロレス
ジャンル : スポーツ

【竹内宏介も書けなかった馬場の真相の深層②】「カレー屋店長」は誤報だった〜馬場親派記者もタブー視した「お笑い格闘技ごっこ」の相手にされたラジャ・ライオンの本当の正体/日本テレビが仕掛けるはずだった幻のアングルも同時公開

熱心な馬場ファンさえも失笑が禁じ得なかった昭和62年(1987年)6月6日に行われたラジャ・ライオンとの異種格闘技戦。馬場にベッタリの記者たちもさすがにヨイショの仕様が無くスルーするか貝になるしかなかったようである。

中には馬場は猪木の格闘技戦のパロディを見せ「だからプロレスの方が面白い」ことを伝えたと論じる馬場から○×をもらっていた一部の○×記者は必死に馬場擁護論を展開したようであるが、日テレ関係者から「これでは褒め殺しだ」と慌てて火消しに回るというお粗末さを演じこのドタバタ劇は終わりを告げた。

ファンの間では自称空手家のウソもすぐにばれ、ラジャ・ライオンの正体として巷間伝えられたのが「カレー屋の店長」という説で、永らくそれが真相として信じられていたが、このドタバタ劇「お笑い格闘技ごっこ」から25年が過ぎ馬場も死去していることから封印を解かれ明かされたラジャ・ライオンの本当の正体とは? そしてこのラジャ・ライオンを最初に見つけたのは日テレの○×であり、馬場が激怒するとんでもないアングルが計画されていたのであった。その幻のストーリーを初公開!

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紹介文:門茂男主宰のユニオン元会員で、同氏には長年に渡りご交誼を賜った。ライフワークであった「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモを見せて頂き、その要点を再構成した「門茂男メモ」と数名のプロレス記者から入手した情報をベースに記した昭和プロレスのテーマに迫ります。
ミスター高橋の「流血~」本で白日の下に暴かれたプロレスの実像ですが、単なる暴露もので終わるのではなく、門氏が追及したレスラーの人間性にまで同じように迫りたいという思いです。

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プロフィール

シンタロー

Author:シンタロー
プロレスのテレビ初観戦は小学生前の幼少期に祖父宅で見た力道山プロレス。その当時、一番印象に残っている試合は降参しないと足が折れると技の恐ろしさを足4の字固めで教えてくれたザ・デストロイヤーや、吸血鬼を連想させる噛みつきで相手を出血させるレスラーの怖さを知らしめたフレッド・ブラッシーよりも、幼心にはコミカルな妙技で笑い転げたミゼット・レスラーとのタッグマッチであった。それは祖母が馳走してくれた三ツ矢サイダーの味と共に脳裏に刻まれている。放送日の詳しいことは不明だが、昭和35年8月にミゼット・レスラー(名前は不詳)初来日の記録がある。テレビ観戦がその時期のどの試合であったかは今となっては調べようもないのが残念である。
一般総合雑誌・書籍編集者として多数のプロレスや格闘技関係の企画立案に参画し、馬場、猪木、大山倍達、木村政彦を始め多くのレスラーや格闘家を取材。プロレス界のご意見番・門茂男氏とは編集ジャーナリストの大先輩として長年に渡り公私ともども御交誼を賜った。お会いする度に未整理、未発表の「ザ・プロレス365」のラフ原稿を見せて頂き、同時に門氏が口頭で語った様々なある事件の真相や噂(裏付けが未確認)を氏の了解を得てノートにまとめ「門メモ」として所有する元ユニオン会員。

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