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呪われたUNベルトにまつわる数奇な運命の軌跡

昭和44年5月からNET(テレビ朝日)が日本プロレスの中継をスタート、2局(一方は日テレ)放映時代の到来を迎えた。契約ではエースであった馬場と坂口征二(昭和42年入団)の二人の試合は日テレが独占、NETでは放送しないという条件であった(後に反古にされた)。必然的に第2のエースであった猪木を中心としたカード編成で番組は組まれたが、今ひとつ勢いに乗れない有様であった。

日テレが春の公式戦Wリーグ戦を持ち馬場の優勝が約束されていたことに対抗し、翌年昭和45年秋にはNET用にNWAタッグリーグ戦を開催。猪木の人気、実力を最大限にアピールすべき舞台を設え、星野勘太郎と組ませ優勝はしたものの、参加チーム全てがチグハグな即席コンビで「猪木&星野」がタッグ王座と言っても馬場&猪木のBI最強コンビに比べれば、何枚も格下なのは歴然とした事実。ファンの評価も最低でタッグリーグ戦の人気はどこでも空席だらけであった。

やはり猪木を大スターに祭り上げるには看板のシングル・タイトルがどうしても不可欠と判断したNETはNWAへ多額の権利金・保証金(2万ドル=当時の邦貨で720万円)を支払いUN(ユナイテッド・ナショナル)タイトルを作成。この頃からであろうか、チャンピオンの粗製濫造が始まり、タイトルの価値が失墜していき、それに併せるようにプロレス人気にも翳りが生じてきたのであった。

NET幹部から依頼された新設タイトルの件でロスに飛んだ代理人の遠藤幸吉はロスマット界のブッカーを務めるミスター・モトと密談。当時パシフィック・コースト・ヘビー級タイトルのスペアがあることに目を付け、そのネームプレート部分だけを作り替えてデッチ上げたのがUNベルトの正体であった。権威付けを強く求めていたNETはロスでの奪取試合(ジョン・トロス戦)には、テレビ中継でタイトル宣言と奪取したUNベルトを猪木に渡すシーンでサム・マソニックNWA会長を登場させ、もっともらしいアングルを提供し日本のファンに権威を印象付けた。

NETテレビがビッグマネーを支払い猪木個人用に作ったこのUNベルトは、後に猪木をクーデター乗っ取り首謀者として追放処分、日プロ崩壊を経て全日のジャンボ鶴田の専用ベルトになるという皮肉な因縁を持ち、呪われたベルトの異名を有す不吉なタイトルと呼称されるようになった。

猪木は日プロを叩き出され、鶴田はB型肝炎発症、臓器移植のショックで死去という忌まわしい事実から出た話であるのは言うまでもない。他の歴代日本チャンプの高千穂明久、坂口征二、天龍源一郎にしても崩壊や裏切りといった因縁がつきまとった。

新日設立後、ベルト無しで興行的に苦戦を強いられていた猪木を側面からバックアップしようと、NETは非公式に日テレにUNベルトの返却を打診したが、日テレ側は「猪木が自ら返上したタイトルで、その所有権・使用権は日プロから(吸収合併した)全日に正当に継承されたもの」という建前論を崩さず、返却どころか一銭も払わずにタダ取りしてしまったのである。日テレ関係者の高笑いが聞こえてきそうである。

NET側も終始、建前の正論で攻められては「猪木のためにカネを出して(UNというインチキ・ベルトを)作ったのは我々NETだ! 所有権も使用権もウチが有するものだから返せ!」という喉元まで出かかった本音も言えず、渋々引き下がったのであった。

日本テレビ専用インターの王座に収まる馬場、一方のNETテレビ用のUN王座に着く猪木の二人の様子は、傍目にはカネの腐臭がプンプンするブリキのオモチャを宛がわれ喜々とする猿山のボスのようで滑稽そのものであった。マスコミ用のリップサービス以外は互いに口も聞かず、派閥の首領に収まり子飼いの手下レスラーたちに囲まれる様子は暴力団のそれと変わりはなかった。こうした二人の関係を見れば誰の目にも瓦解は時間の問題と映った。

プロレス新聞の記者たちも馬場派、猪木派に分かれ水面下では露骨な中傷合戦、小遣い銭欲しさに今日は馬場のヨイショ、明日は猪木のフンドシ担ぎといった魑魅魍魎の化かし合いや足の引っ張り合い、裏切りやスパイ合戦が繰り広げられていったのである。業界紙(誌)記者はマッチポンプはお手のもの、火のない所に煙りを立て金銭(広告費)を掠め取ることが生業の基本スタンスである。

その端的な例が後にプロレス村を叩き出され浮浪者同然の生活に陥り、馬券代や小遣い銭欲しさにプロレス・オタク向けに陳腐な妄想与太話や自ら「馬場のたかり屋」だったことをカミング・アウトしてファンや関係者の冷笑を買ったターザン山本であろう。

たかり屋とはカネで結ばれた隷属関係に過ぎず、馬場が死去すれば元子も冷淡でまるで異臭漂う汚物を見るような扱いで馬場の法要に山本を呼ぶことは一度もなかった。当然、馬場もそれは望まなかっただろうし、たかり屋風情の哀れな末路とはそんなものであろう。

犬猿の仲で互いにソッポを向く馬場・猪木に秋波を送ってきたのが後の日本プロレス・クーデター乗っ取り計画の首謀者の一人、上田馬之助であった――。

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テーマ : プロレス
ジャンル : スポーツ

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紹介文:門茂男主宰のユニオン元会員で、同氏には長年に渡りご交誼を賜った。ライフワークであった「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモを見せて頂き、その要点を再構成した「門茂男メモ」と数名のプロレス記者から入手した情報をベースに記した昭和プロレスのテーマに迫ります。
ミスター高橋の「流血~」本で白日の下に暴かれたプロレスの実像ですが、単なる暴露もので終わるのではなく、門氏が追及したレスラーの人間性にまで同じように迫りたいという思いです。

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プロフィール

シンタロー

Author:シンタロー
プロレスのテレビ初観戦は小学生前の幼少期に祖父宅で見た力道山プロレス。その当時、一番印象に残っている試合は降参しないと足が折れると技の恐ろしさを足4の字固めで教えてくれたザ・デストロイヤーや、吸血鬼を連想させる噛みつきで相手を出血させるレスラーの怖さを知らしめたフレッド・ブラッシーよりも、幼心にはコミカルな妙技で笑い転げたミゼット・レスラーとのタッグマッチであった。それは祖母が馳走してくれた三ツ矢サイダーの味と共に脳裏に刻まれている。放送日の詳しいことは不明だが、昭和35年8月にミゼット・レスラー(名前は不詳)初来日の記録がある。テレビ観戦がその時期のどの試合であったかは今となっては調べようもないのが残念である。
一般総合雑誌・書籍編集者として多数のプロレスや格闘技関係の企画立案に参画し、馬場、猪木、大山倍達、木村政彦を始め多くのレスラーや格闘家を取材。プロレス界のご意見番・門茂男氏とは編集ジャーナリストの大先輩として長年に渡り公私ともども御交誼を賜った。お会いする度に未整理、未発表の「ザ・プロレス365」のラフ原稿を見せて頂き、同時に門氏が口頭で語った様々なある事件の真相や噂(裏付けが未確認)を氏の了解を得てノートにまとめ「門メモ」として所有する元ユニオン会員。

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