低迷するプロレス界の復興策は「セメント復活」と「八百長のカミングアウト」である(最終論考・後編)
こうした勘違いが生じたのはどうやら角界の八百長問題が連日報道され、力士同士が携帯メールで取組内容をやり取りしていたことからプロレスも台本をレスラーが読みながら覚えるものと解釈したようである。
それに加えNHK-BSで放送された「ネパールプロレス」ではレスラーがシナリオを記したノートをお互いが確認しながら乱入のタイミングを相談していたシーンを見て、誰もが同じようなものであろうと思ったのは仕方のないところであろう。
余談だが力道山はそいった証拠となるようなメモの類といったものは一切残さなかった。当時はプロレスを見る眼は今以上に厳しく、プロレス新聞以外の大手マスコミはあら探しよろしく、八百長の証拠探しに必死な新聞社もあった。そういう状況下でシナリオのノートでも発覚したら大スクープとして報じられていたに違いない。今回の角界八百長携帯メールのように。
台本無しでも試合を組み立てていく「あうん」の呼吸という日本にはピッタリな表現もある。前座試合はこれらを習得するトレーニングの場である。メイン・イベンターを務めるレスラーはそのレベルの技量が無ければその地位は保てない。
これも余談だが今の学生プロレスもコール無しフィニッシュ無しで行われている(全てではない)が無論、真剣勝負であろうはずがない。勝ち役だけ決めておき後は流れに任せ最後のフィニッシュも「あうん」の呼吸で決めるという、プロ顔負けである。ネパールプロレスよりも技術水準は学生プロレスの方が上とも言えるわけだ。
このように学生の「プロレスごっこ」も見事なまでにプロレスの相似形を成しているのである。急所を外す攻撃法と日頃の対戦相手とマンツーマンの(予行)練習を積めば攻守がシーソーゲームのように入れ替わる全日が得意気に誇っていたハイ・スパートの台本無しの八百長試合も単純で容易なのである。
お互いの呼吸が合いマジックが生起するとき 名勝負が生まれるケースが多い。真剣勝負では決して名勝負が生まれないのがエンターテイメント・ショーの理でもある。サーカスは一流のエンターテイメントショーである。その華の中心が空中ブランコか。これもお互いの「あうんの呼吸」が合わなければ死に直結する。空中ブランコショーもプロレスにも通底する部分である。
今でも語り草になっているが昭和49年10月10日に行われた猪木vs大木金太郎戦。猪木の名勝負でこの試合を上位に挙げるファンは多い。筆者もその一人である。大木の頭突きを何発も喰らい、1度はリング下に転落。すぐさまリング上に駆け上り大木の頭突きを「ここにぶちかませてみろ!」と額を指差し挑発する猪木。ゴツン、ゴツンと鈍い音が響き額から出血しながらも鬼の形相で大木を挑発しまくる姿は何度見ても迫力満点である。
この試合は疑似セメントであったがファンの評価はそのことで下がるものではない。出血シーンも相乗効果を生むプラスに働いた。この試合をスケールアップさせたギミックとして肯定的に捉えたい。お互いの持ち味を出し切ったプロレス名勝負であることに異論はない。フュニッシュはバックドロップであった。試合前から力道山vs木村政彦戦以来のセメント決戦かという盛り上がりも世紀の大勝負という雰囲気を醸し出していて格闘技に相応しい展開であった。13分13秒。全てが堪能できた価値ある試合時間であった。
ここで好対照を見せたのが対馬場との一戦であった。はぐれ狼となった大木は次に馬場とも対戦をもった。すでに全日マット参戦は既定路線で遺恨ムードでプロレス新聞は関心を引こうとするが、ファンには半ば白けムード。猪木戦の時は全てが初モノとあって、両者ともそのアングルで立派に演じてみせたが、所詮、馬場とは出来損ないの二番煎じで興味も半減、衰えた馬場の力量では試合時間も半分がやっとであった。
この頃の馬場が必殺技として多用していたフライング・ネック・ブリーカー・ドロップ一発で終わりという消化不良の凡戦であった。この一戦は逆に猪木のレスリング・センスが改めて評価をされることになった。ちなみに猪木戦では800万円のファイトマネーを大木は掌中にしたが、馬場戦では半分の400万円だったと言われている。試合時間に比例して大木は「楽な仕事」をしたと関係者は笑っていたが、大木は不満だったようである。
セメント試合には両者の意志確認が不可欠でもある。仮に一方がセメントを所望しても片方が拒否なり、放棄すればセメント試合は成立しない。そして一番厄介なケースが両者がセメント勝負に合意しても試合途中に恐怖や負傷などにより戦意喪失、セメント回避、放棄の意志を見せた時の試合のフィニッシュである。
レフリーストップが一番無難な選択ではあるが、レフリーの不手際で大惨事という結果を招きかねない。ゆえにセメント勝負時のレフリー役が大きな問題となってくるわけである。
猪木がセメント試合を決行する時は必ずユセフ・トルコであった。新日プロ時代にはミスター高橋を外していた。猪木が自分の命をやり取りする時、信頼したのは元セメント・レスラーのユセフ・トルコだったというもの面白い。
大相撲で八百長が発覚し、問題となった時、八百長の取組が何番かニュース番組でも録画テープを再生検証されたが、舞の海や他の元幕内力士が見ても八百長勝負という断定を下すのは難しいものであった。
つまり、これが発覚前であれば勝負審判員が疑義を発しなかったように誰もが見抜けなかったということである。このように相撲の八百長がガチンコと変わらぬ完成度を示しているように、プロレスの八百長もコール無しフュニッシュ無しの「あうんの呼吸」で組むことができると言うことに他ならない。
結論をまとめる。報酬が同じで勝つことに意味を成さない勝負で不具者へのリスクを冒し、かつプロレス的アングルでない遺恨の感情も持たない相手に、同時に相手にもセメントで立ち向かう意志がないリング上で独りでセメント試合の実行はあり得ないのである。拠ってプロレスは八百長に拠ってのみ試合が成立する、と結論づけられる。
この反意である場合、つまり高報酬が約束され勝つことが金銭面に限らず地位や名誉を得ることに繋がり、相手に対し遺恨の情を抱き勝負の方法にセメントで雌雄を決することに同意したケースでは血も凍てつくセメント真剣勝負が生まれることになる。
これまで起きた実際のケースでは猪木をセメントで潰すように芳の里から特別ボーナスを貰い馬場の援護を依頼されたデストロイヤーのように、つまりカネで動くか、負け役が日本プロレス界で一番嫌いだった大木のように台本を破り勝ち役に色気を見せてしまったために地獄の淵を彷徨ったような背任・裏切りのケースが多いのである。
昭和46年2月に初来日を果たしたミル・マスカラスは映画俳優を兼ねていた。その契約書には顔面への打撃が禁止事項として書かれていた。マスカラスの噛ませ犬に抜擢されたある選手はセメントでボコボコにしようと企んだが、「契約違反を起こせば莫大なペナルティーが生じるが、お前に払えるか!」と諭され、泣く泣く引き立て役を演じたという。セメントにはこうした諸々の諸事情がクリアされなければ成立は難しいものである。
遺恨が一番多そうなイメージが持たれるが、ヤラセ(アングル)でない遺恨とすれば、それは死に直結する大惨事を招きかねない。文字通り「殺し合い」となってしまう。実際、それを裁くレフリーがいないし、指名されても拒否されるのは目に見えている。
その遺恨を表面に出したのは民族の血の争いを噴出させた長州力と前田日明である。北朝鮮と韓国に分断された国家間の反駁を背負いマットで火花を散らしたわけである。長州、前田が切れやすい癇癪持ちなのも民族の血筋なのかも知れない。
日頃の八百長試合で弛緩した気力を本来の格闘魂に覚醒するのがセメントであった。試合前の情報でその気配を察することも多い。これは猪木が実際に使った手だが仮病を理由に病院に逃げ込むこともできるが、大半はリングで地獄の淵を彷徨う結果となる。
一方が格闘能力が優れていてもレフリーが相手側では2対1のハンデキャップ・マッチである。これを乗り越え勝利するのは実際は不可能であった。プロレスのセメントマッチとはそういうものである。
セメントを捨て去った平成プロレスが人気不振で喘いでいる。それも昭和プロレスファンから見れば自業自得と言わざるを得ない。セメントがあればこそ八百長試合も楽しめたのである。
真剣勝負と言えばすぐにK1やバーリ・トゥードのアルティメット、MMA、オクタゴンのUFCといった綜合格闘技が連想されるが、そうした競技も日本では飽きられつつある。今述べたような競技とプロレスは一戦を画すものという感覚が肌に染みついている。「真剣勝負だから最高」といった単純なレベルには日本のプロレスファンは収まるはずがない。真剣勝負が好きなだけならさっさ他の格闘技に乗り換えれば済むだけのことだ。
元レスラーが語っていたが「闘いの進化したシリアスなプロレス」をファンは願っているのである。同時にこうも言う。「シナリオ無しのエンターテイメント」こそが理想だと。現役レスラーたちに聞かせたい言葉である。
八百長だけのプロレスには何の興味も感じないと去って行ったファンは多い。そうしたファンを呼び戻すためにもセメントと八百長の清濁併せ持つプロレスに戻るべきではないか。セメントを知らぬ世代がレスラーにも観客にも増えている現状を見れば、それが不可能に近いかも知れない。だが、せめて猪木vs大木戦のようなセメント色を色濃く反映させた疑似セメント試合、そのレベルの試合をを見せることが出来ればプロレスは再び勢いを持てるのではないだろうか。(了)