スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

馬場「礼賛」と猪木「冷賛」の謎を解く~附記/ブッチャー引き抜き抗争の舞台裏~

今回のテーマは偶然であった。現在の平成プロレスには興味も関心もない筆者にとって前回の「八百長最終論考」でひとまずブログの更新はしばらくはないものと判断していた。ところがある日、芥川賞の候補にもなったあるプロレス好きの若手作家と次回作の件で、打ち合わせを兼ねた夕食中の雑談の中から題材が生まれた。作家は次のように語る。

「馬場、猪木の全盛時代は知りませんがビデオを見る限る、やはり猪木サンの試合のほうが好きですね。でもレスラーからは断然、馬場サンの方が信頼されていたという話をよく耳にしますが、強いレスラーは嫌われるということなんですかね? だけどルー・テーズはレスラー仲間からもリスペクトされていたというじゃないですか。どういうワケなんでしょうか?」

昭和のプロレスファンには願ってもないテーマを提示された。この問題は今まで考えもしなかった。やはりファンとは時には語り合うものだと痛感した次第。貴重なご意見、ということで今回のテーマとさせてもらった。

この疑問を解き明かすにはまず、馬場と猪木にはそれぞれ選手だけでなく全日プロレス、新日本プロレスを率いるオーナーの顔と興行を取り仕切るプロモーター兼ブッカーの顔も持ち合わせていた、ということを忘れてはならない。

全日プロには日本テレビが新日プロにはテレビ朝日がスポンサーとしてバックに付き、ギャラの支払いはどちらもトリプルAの信用を得ていた。ところがある時期、一部レスラーの引き抜き合戦で恩恵を被るレスラーが現れ、ギャラアップを狙い天秤に掛けるレスラーが出てきたことがあった。ギャラの相場が青天井で上がっていったそうした混乱期を除けば、外人レスラーの評判は概ねは馬場を賞賛する声が多い。これは全日と新日に参加したレスラーがお互いに情報交換し、それぞれが探りを入れ自分がどのような評価(ランク)なのかを知ることで生じた結果から生じたものであった。

しかし、評価とは難しいものである。端的な例がタイガー・ジェット・シンであろう。米国では無名だが新日マットに上がれば、外人トップの厚遇を受けていた。それはスタン・ハンセンも同じであろう。ちなみに引き抜き戦争の当事者たちでもあった。この時のギャラはマンションの1軒ぐらいは買えたぐらいのビッグマネーだったという。具体的を数字を上げよう。

引き抜きの始まりはアブドーラ・ザ・ブッチャーであった。昭和55年11月、新間寿はブッチャー引き抜き工作を依頼しに2人の男と密会した。一人は「セメント仕掛け人」ユセフ・トルコで、もう1人はそのトルコを自分のプロダクションの副会長として厚遇していた「劇画界の首領」梶原一騎であった。ブッチャーに提示された契約内容は「3年契約で初年度のギャラは15万ドル」(当時のレートで換算すると約3千5百万円)という破天荒な金額であった。

更に2人(ユセフ・トルコと梶原一騎)には成功報酬として各1千万ずつが約束されたのであった。仮に1年間に60試合出場したとしたら1試合60万円弱という計算である。無論、ブッチャーに異論はなくロサンゼルスでケン田島の通訳を伴った猪木と弁護士の立ち会いの下ブッチャーは正式に契約書を交わした。

ちなみに1試合60万円と言えば、上田馬之助クラスのギャラなら10倍はくだらない途方もない金額であった。このしわ寄せは何処にいくか? 入場料金の値上げとなってファンの懐にしわ寄せが来たわけである。もっとも、この両者の対決は最後まで噛み合うことがなく凡戦に終わり、結果的には失敗であった。どうして噛み合わなかったのか? その背景には相互不信の根が深かったようである。

愛弟子”ドラゴン”藤波の売り出しに絡む謀略の「裏切りのセメント」が水面下で動く気配があった。その仕掛け人は猪木自身であったが、ブッチャーもその情報をアンチ藤波派の日本レスラーのタレコミでキャッチしていたのであった。その腹の探り合い、疑心暗鬼、警戒心が凡戦の理由であった。そして、この「ブッチャー引き抜き」を皮切りにタイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディの引き抜き抗争の火ぶたが切って降ろされたのであった――。 

この逆のケースもある。米国でスーパースターのリック・フレアーも日本ではNWAチャンピオンの威光も全く通ぜず、場内は閑古鳥が鳴く有様であった。ブルーノ・サンマルチノもそうした日米ギャップレスラーの代表格であった。ニューヨークの帝王、人間発電所の売りは怪力。18番のフィニッシュホールドはベア・ハッグであった。だが小兵(公称182㎝)で馬場はこの技を受ける時は脚を宙に浮くように必死で折り曲げている姿がファンの失笑を買った。

おまけにこの頃は腰痛に悩まされ技を受けるレスラーよりも技を仕掛けたサンマルチノの方が額に脂汗を出し苦痛に歪むというおかしな光景が現出。怪力の説得性が希薄で誰もが馬場が脚をわざわざ折り曲げる必然性を全く感じなかったわけである。技の痛み、凄さも説得力が観客席には届かず、となれば会場は閑古鳥が鳴くのも当然であった。

だが馬場は客が呼べなくても赤字覚悟でNWA、WWWFチャンピオンとしてギャラの面でも待遇面でもその地位に相応しい厚遇で迎えた。この時代、日本のプロレス団体に参加するのは一つのステイタスであった。先ず第一は日本から招聘されたということ。単純に活躍できる仕事場、マットが1つ増えたことを意味する。

それと詳しくは触れないが娼婦だけに限らず日本女性との出会えるチャンスでもあった。フレッド・ブラッシーの本妻が日本人女性という高名なエピソードを含め、本妻でなくても現地妻として関係を深めたレスラーは多い。これは万国共通、男の本能であろう。まして精力絶倫のレスラーとなれば当然か。

ただブッチャーのようにすすき野歓楽街でソープ嬢から泣きながら対戦を拒否されプロの女性からも相手にされなかったのは外見の風貌によるものだったようだ。本人の名誉のために言っておくが、その後の来日では愛嬌のあるキャラが知れ渡りモテたという話だ。またセメントボーイのダニー・ホッジは性欲が解消されなかった当夜の対戦相手には非情のセメント攻撃を仕掛け、地獄の淵を彷徨わせたことが多かったと米国で巡業を一緒に廻った上田馬之助は語っていた。

話が逸れた。本題に戻ろう。何より外人レスラーに歓迎されたのはギャラの金額よりも会場移動の交通、宿泊の費用も団体持ちという待遇面であった。日本遠征で係る必要コストは食費ぐらいなものである。移動の手配も団体がやってくれる、つまりギャラの大半は本国に持ち帰ることができたわけである。

米国ではNWAチャンピオンでも何百㎞を自分でマイカーを運転し会場近くのモーテルに宿泊するという光景が日常であった。ギャラの少ない前座レスラーはガソリン代を割り勘で払い分乗させてもらい、車中ではシナリオの確認をするという日々であった。

猪木と馬場の違い、それは客が呼べない「昔の名前で出ています」レスラーにもこれまでの恩義を忘れずに同じような厚待遇で持てなす馬場と、日本受けする良いファイトをすれば過去の名声や序列を飛び越え高給を払う猪木との違いであった。

つまりレスラーとして常にアイデアを出し、体力面は当然ながらベストコンディションを維持し、常に観客に飽きられないアングルを提供しなければリングに立てないのが猪木プロレスであった。レスラーの側から見ればキツイであろう。そうしたセンスを持ち合わせていないレスラーは不要のレッテルを貼られゴミ箱に捨てられるように二度と日本に呼ばれることはなかった。

密林王・グレートアントニオがポイ捨てされた典型であろう。力道山時代(昭和37年)はバス3台を引っ張り日本中のファンからその怪力見たさに会場はフルハウス。夢をもう一度とばかり新日に参戦し同じように(マイクロ)バスを引っ張りもした。だが、やはり高慢な態度は昔と変わっておらず、ギャラアップを要求。力道山時代はカール・ゴッチとビル・ミラーが控え室でセメント制裁(リンチ)を行いその高慢な鼻をへし折り黙らせたが、今回は猪木自身がセメントキックを顔面、後頭部にぶち込み、2分49秒で日本マット界から追放したわけである。

馬場プロレスは序列や格を重要視していた。チャンピオンに非礼があってはいけない、セメント勝負を嫌い全ては予定調和で完結するシナリオを良しとしていた。しかし猪木プロレスはセメントが生じる危険性もあった。シナリオがあってもその通りには試合は運ばず、レスラーを不安に陥れる流動的要素が濃かったのである。これは猪木の性格によるものであろう。坂口を騙し一人芝居でベロを出し、レフリーもホーガンもオロオロと困惑させた猪木である。シナリオ破りもお手のモノで信用、信頼を欠いたレスラーであった。

このことがプロモーター兼ブッカーの猪木の評価にマイナスイメージを与えたとみるべきであろう。一方の馬場はどうか。この反対と考えればほぼ正解であろう。先のリック・フレアー、ブルーノ・サンマルチノに限らず、日本でNWAタイトルを馬場にプレゼントしたジャック・ブリスコも本人が驚愕するほどの厚待遇ぶりであった。タイトル移動プレゼントの特別ボーナス1万ドルは無論別途計算である。

新幹線移動はグリーン車で、会場入りのチャータークルマを手配、来日のエア・チケットもファーストクラスであった。時には夫人同伴で来るレスラーもいたが、無論、夫人の滞在費は全て全日プロ持ちであった。こうした待遇を受ければ観客を歓ばすファイトを意識するのが普通であるが、馬場は団体トップのスター選手でもあった。

プロモーター、ブッカー、レスラーが一同一人物ということで戸惑うレスラーがいても不思議はない。厚遇で迎えてくれるプロモーター相手にアングルでない非情なことはできないのは外人でも心情は同じであった。しかもスピードは衰え巨人の身体がハンデとなった馬場とでは観客を歓ばすシナリオがあっても実際にパフォーマンスすることは不可能で、仮に優れた台本であったとしてもそれは絵に画いた餅でしかなかった。

鶴田、天龍、三沢といった子飼いレスラーがまだメインに成る前の時代は観客から失笑を浴びながらも馬場が全面に立たなければならない時代であったことを嘆くファンもいるようだが、条件は猪木も一緒である。

セメント勝負が苦手で独りキャンバスに絵を描いていたいというチキンな馬場は全てが予定調和の中で完遂するプロレスを好んだのは先述した通りで、テレビドラマの水戸黄門の勧善懲悪の世界を理想としていた。ストーリーが分かっていても悪代官を最後は黄門が退治する展開はプロレスと同じだと思っていた。それでも視聴率は高い。客もそのストーリーを欲して会場に足を運んでいると、真顔で古参記者に語っていた。

だが馬場は肝心なことを見落としていた。「水戸黄門」はタダだがプロレスは入場料が必要だった。その水戸黄門も今シリーズをもって打ち切りと決まった。その理由は低視聴率。勧善懲悪のシナリオが飽きられたということである。保守的とも言われた馬場プロレスが観客動員数で常に猪木の後塵を拝していた時、頭を抱え悩み込んでいた。

「外人レスラーの質では猪木にどう考えても負ける要素がない。なのにどうして客は猪木の方に行くんだ?」

正解は簡単であった。猪木の試合の方が見たかったからである。名のある売れっ子レスラーを何人呼んでもその魅力を十二分に引き出せない馬場自身の非力さを知ろうとしなかったのである。全米の人気、売れっ子レスラーを豪華に配してもその持ち味を存分に披露できぬ全日マットは「宝の持ち腐れ」であったと新日ファンは述懐する。

「たら・れば」話は禁句であろうが、もし参戦レスラーが新日と全日で逆であったらと妄想する楽しみもあった。日本プロレス界の勢力地図は書き加えられたのは確かであろうし、ひょっとしたら新日の独り勝ちで全日マットは消滅していたかもしれない。そして日本人の特性とも言われる判官贔屓の影響もあったはずである。

突然セメントを仕掛けてくる猪木はレスラーとして油断も信頼も置けぬ奴、同時にプロモーターとして眺めれば、いつ背中からバッサリと用済みのレッテルを貼られ使い捨てにされるという不安を覚える。猪木は疑心暗鬼な気持ちを抱かせる人物と評価されていたということである。その真逆に位置するのが馬場とみれば冒頭の若手作家の答えになるのではないだろうか。(了)

スポンサーサイト

テーマ : プロレス
ジャンル : スポーツ

コメントの投稿

非公開コメント

プロレスにおけるハプニング(セメント)は本来否定されるべきモノである反面、一つの側面から見た時に魅力・面白みにもなり得る、と言うのはわかる。
しかしそれがあるか否かでプロレスの良い悪いを評価するとはいかがなものか? スレ主が何をプロレスの醍醐味と捉えるかは勝手であるが、国内外を問わずあの素晴らしい70年代のプロレスの評価を、セメントの有無またはその緊張感で語りたいのであるなら、単純にあなたはプロレスファンでも何でもないのでは?と思うしかし、よその格闘技を見ていた方がよっぽど良いのでは?と思いますね
好き嫌いは別にして、プロレスに対して予定調和のと言う言葉を使ったり、またそれを行う行為に対してチキンと言う発想を持つって。
いささか幼稚で下らな過ぎはしませんか

Re: 十人十色

貴方が読解能力欠落者とお見受けしましたので改めて懇切丁寧に説明しましょう。

「予定調和」とはシナリオ、脚本、台本、筋書きと置き換えて読んでいただければ
理解できるものと推察します。そして筆者が多大な影響を受けた「ザ・プロレス365」の
1巻でも読まれることをお勧めします。
それでも難解で理解不能でしたら数多ある暴露本を1冊でも読んでもらえれば
理解の一助にはなると思いますよ。

この「予定調和」のフェイクを超えるマジックが生起したプロレス(試合)があることも
筆者のブログでも紹介済みです。プロレスへの接し方は十人十色。
西口プロレスのハチミツ二郎、所々ジョージにお笑いを求めるファンもいるでしょうし、
筆者のように「清濁併せ持つ昭和のプロレスの魅力」を様々な角度から捉えたいファンもいます。
それは当ブログの基調を成すものですが、これも貴方の読解力では少々難しかったようですね。

「チキン」とは確認しておきますが決して鶏のことではありませんよ。
文脈の流れから素直に推察してもらえれば「チキンハート」(腰抜け、臆病、小心)と
理解されると思いましたが、「ハート」の字句を省略したのは筆者の不注意でした。
読者レベルにも国語力、読解力に大きな格差があることを改めて痛感。
今後は一層の配慮が必要と再認識した次第。

馬場の性格がチキンハートであることはプロレスファンなら誰もが知る常識ですが、
「慎重居士」「優柔不断」と表現する記者もいましたが意味は同じです。
門茂男氏は「石橋をブルドーザーを通した後でも渡らぬ男」と名言(解説)を残し、
プロレス記者たちや関係者から絶賛されました。
プロレス新聞を読んでいてもプロレスが分かるとは限りません。
ブロマガ

紹介文:門茂男主宰のユニオン元会員で、同氏には長年に渡りご交誼を賜った。ライフワークであった「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモを見せて頂き、その要点を再構成した「門茂男メモ」と数名のプロレス記者から入手した情報をベースに記した昭和プロレスのテーマに迫ります。
ミスター高橋の「流血~」本で白日の下に暴かれたプロレスの実像ですが、単なる暴露もので終わるのではなく、門氏が追及したレスラーの人間性にまで同じように迫りたいという思いです。

ブロマガ記事一覧

購入したコンテンツは、期限なしに閲覧いただけます。

プロフィール

シンタロー

Author:シンタロー
プロレスのテレビ初観戦は小学生前の幼少期に祖父宅で見た力道山プロレス。その当時、一番印象に残っている試合は降参しないと足が折れると技の恐ろしさを足4の字固めで教えてくれたザ・デストロイヤーや、吸血鬼を連想させる噛みつきで相手を出血させるレスラーの怖さを知らしめたフレッド・ブラッシーよりも、幼心にはコミカルな妙技で笑い転げたミゼット・レスラーとのタッグマッチであった。それは祖母が馳走してくれた三ツ矢サイダーの味と共に脳裏に刻まれている。放送日の詳しいことは不明だが、昭和35年8月にミゼット・レスラー(名前は不詳)初来日の記録がある。テレビ観戦がその時期のどの試合であったかは今となっては調べようもないのが残念である。
一般総合雑誌・書籍編集者として多数のプロレスや格闘技関係の企画立案に参画し、馬場、猪木、大山倍達、木村政彦を始め多くのレスラーや格闘家を取材。プロレス界のご意見番・門茂男氏とは編集ジャーナリストの大先輩として長年に渡り公私ともども御交誼を賜った。お会いする度に未整理、未発表の「ザ・プロレス365」のラフ原稿を見せて頂き、同時に門氏が口頭で語った様々なある事件の真相や噂(裏付けが未確認)を氏の了解を得てノートにまとめ「門メモ」として所有する元ユニオン会員。

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
スポーツ
1687位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
格闘技
103位
アクセスランキングを見る>>
ブロマガ購読者向けメールフォーム
FC2アフィリエイト
国内格安航空券サイトe航空券.com
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。