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【馬場と猪木 日本プロレス史⑤】最期まで確執に生き貫いた壮大なプロレス人生の最終譜(第2話)

東京プロレスのエースとして猪木が単身米国に乗り込み、自分の目で選んだ男は確かであった。「金髪の妖鬼」ジョニー・バレンタインの「毒針」エルボー・ドロップの破壊力は強烈で、肘に鋼鉄が仕込まれているという伝説も生まれるほど、観客にも痛さを感じさせるワザの納得性があった。単純なワザゆえ誤魔化しの余地のない凄みが客席に伝わった。

昭和41年(1966年)10月12日に初対決となった猪木との死闘は名勝負の誉れが高いがテレビ放映がなく、猪木ファンには幻の一戦となっている。この試合で猪木は初めて強靱なブリッジを活かしたアントニオ・ドライバーを披露し、31分56秒リングアウト勝ちを収めた。ちなみに週刊ファイト編集長・井上義啓はこの一戦を猪木のベストマッチに挙げている。

東京プロレスのエースとして猪木は孤軍奮闘したが、カネなし、計画性なし、豊登のギャンブル狂が祟りあえなく昭和41年12月19日の最終興行をもって崩壊。東京プロレスは実質、半年足らずの命運であった。

昭和43年4月3日猪木が日プロに復帰する。この時期、日プロ首脳陣はある懸念材料があった。それは絶縁したグレート東郷が今度はルー・テーズと組み国際プロレス(TBSプロレス)と全面提携を結び甘い蜜を求めブッカーとして日本へ再上陸をはたしたのであった。

ヒロ・マツダの参入も噂され、そのルートから猪木も一緒に行動を共にするのでは? という尾ひれ羽ひれがつき真しやかに伝わり、この噂が猪木の寛大な処置、というよりはほとんどは無罪放免に近く、むしろ日プロが移籍金を払う、どちらかと言えば猪木はこの騒動の被害者という立場にすり替わっていた。この仲介の労を取ったのはスポーツニッポン新聞社社長・宮本義雄であった。

実は猪木にはもう一人強力な援軍がいた。当時の日本プロレス・コミッショナーであった川島正次郎(自民党副総裁)である。当時、政界の寝ワザ師ともカミソリ正次郎とも言われた政界ナンバー2が「猪木ほどの逸材を消すのは惜しい。日本のプロレスの発展のため、小異を捨てて大同に就け!」と鶴の一声。政界の裏首領の言葉に異議を唱えられる者など誰一人いるはずがなかった。

猪木はこの擾乱に乗じて日プロから移籍料2千万円の支度金をせしめた。永らく1千万という説が巷では有力だったがユセフ・トルコの著書「プロレスへの遺言状」で当時、日プロの経理担当の職にあった三澤正和が「猪木に支払われた額は2千万円だった」と明言している。

東京プロレスの整理精算が表向きの理由であったが、アメリカ人ダイアナ夫人との新築費用(世田谷区上野毛)でもあったようだ。この時、夫人との間に一女をもうけている。ちなみに当時の2千万は現在の貨幣価値に換算すれば1億4370万というビッグマネーであった(昭和43年度国家公務員初任給25302円。平成19年度国家公務員初任給181200円。≒7.16倍)。

こうして日プロに復帰してからしばらくの間は、禊ぎ期間と自らを戒め、馬場を側面から全面サポート。日本最強のBIタッグが実現しファンの期待に応えていた。あれほど嫌悪し東京プロレスに走る理由であった「馬場の肥やし役」に徹し、面従腹背の忍でインタータッグ戦では絶妙のコンビネーションを見せもしたのである。猪木の胸の内で燻る葛藤などを露とも知らぬファンはこのタッグに熱狂した。

当時のマッチメーカーは吉村道明であったが、猪木も積極的にプロットを進言し、新しいストーリーの組み立てをファンに提供し、そのBIコンビが見せる新たなプロレスにファンは大いに魅了されていった。基本のシナリオは3本勝負では猪木が1本ずつを取って取られ、決勝の3本目は馬場がオイシイところを掠め取るというストーリー展開ではあった。

このような文字の羅列では全く味気ないが、実際のファイト内容は二人の持ち味が存分に披露され、猪木の硬軟織り交ぜた躍動感一杯の攻守がクイックで入れ替わるハイ・スパート攻撃に、ここぞと重厚感溢れる馬場のフィニッシュへスパートする試合の組み立て方は豪快であった。巨体が明らかに大きな「武器」であり、脚力の強さは32文ミサイルキックの説得力にもそれなりの納得性、整合性が保たれていた時代であった。

この時代のBIコンビは最高で最強だっと評価するファンは多いが馬場の体力を考えれば確かにひとつのピークであった。だが圧倒的な「武器」だった馬場の巨体が「ハンデ」に朽ちていくのも意外と早かったのであった――。


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テーマ : プロレス
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紹介文:門茂男主宰のユニオン元会員で、同氏には長年に渡りご交誼を賜った。ライフワークであった「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモを見せて頂き、その要点を再構成した「門茂男メモ」と数名のプロレス記者から入手した情報をベースに記した昭和プロレスのテーマに迫ります。
ミスター高橋の「流血~」本で白日の下に暴かれたプロレスの実像ですが、単なる暴露もので終わるのではなく、門氏が追及したレスラーの人間性にまで同じように迫りたいという思いです。

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シンタロー

Author:シンタロー
プロレスのテレビ初観戦は小学生前の幼少期に祖父宅で見た力道山プロレス。その当時、一番印象に残っている試合は降参しないと足が折れると技の恐ろしさを足4の字固めで教えてくれたザ・デストロイヤーや、吸血鬼を連想させる噛みつきで相手を出血させるレスラーの怖さを知らしめたフレッド・ブラッシーよりも、幼心にはコミカルな妙技で笑い転げたミゼット・レスラーとのタッグマッチであった。それは祖母が馳走してくれた三ツ矢サイダーの味と共に脳裏に刻まれている。放送日の詳しいことは不明だが、昭和35年8月にミゼット・レスラー(名前は不詳)初来日の記録がある。テレビ観戦がその時期のどの試合であったかは今となっては調べようもないのが残念である。
一般総合雑誌・書籍編集者として多数のプロレスや格闘技関係の企画立案に参画し、馬場、猪木、大山倍達、木村政彦を始め多くのレスラーや格闘家を取材。プロレス界のご意見番・門茂男氏とは編集ジャーナリストの大先輩として長年に渡り公私ともども御交誼を賜った。お会いする度に未整理、未発表の「ザ・プロレス365」のラフ原稿を見せて頂き、同時に門氏が口頭で語った様々なある事件の真相や噂(裏付けが未確認)を氏の了解を得てノートにまとめ「門メモ」として所有する元ユニオン会員。

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